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昆虫、特に甲虫を中心とした生き物ブログ。ビーチコーミングやガラスびん収集についても書いています。


by isohaetori

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オオウスバカゲロウ(3)

先日、珍しく夕方のうちに仕事が終わったので、疲れをおして目星をつけていた海岸に向かった。憧れ続けていたあの虫を見るためである。
ヘッドランプをつけて砂浜を歩き回ること数十分、灯りを反射してキラリと光る眼を手がかりに、ついにその姿を見ることができた。

IMG_5070

オオウスバカゲロウ Heoclisis japonica、2014年8月20日、千葉県

柔らかな銀毛に覆われた体は、想像以上に大きかった。長年の思い入れも手伝って、なにか神々しい気配さえ感じられた。

IMG_5168

この夜は羽化ラッシュだったようで、下草のあちこちに新成虫がぶら下がっていた。できれば翅を伸ばす過程を見たかったのだが、現場に着いた時間が遅かったためか、見つかる虫はどれも翅を伸ばし切っており、体が固まるのを待っている状態だった。それでも、繊細なレースのような翅は、写真を撮るのを忘れて見とれるほど美しかった。


東北地方出身の友人が、故郷ではウスバカゲロウのことを「神様トンボ」と呼んでいたと教えてくれた。夜になるとどこからともなく現れ、ふわふわと儚げに飛び回るこの類に相応しい名前だと思う。


過去記事:
茶碗むし(オオウスバカゲロウ)
オオウスバカゲロウ(2)
# by isohaetori | 2014-08-26 23:55 | 昆虫採集・観察(海)

カワラハンミョウ

西日を浴びるカワラハンミョウのペア。(2014年7月15日)

IMG_4630



今日は買い物に行き、ユザワヤでロットリングを買い足した。ついでに日光の丸ペンも買ってみた。少し試してみたところ、毛を描くにはロットリングよりもこちらの方が良さそうに思う。しかし筆圧により線の太さが変わるので、早く慣れるよう練習しなければならない。

眼鏡も壊れてしまったので新調した。ナンバーガールの向井秀徳がかけていたような銀色丸縁のやつを選んだら、10歳くらい老けて見えるようになって愕然とした。あれは向井がかけるからカッコいいのであって、普通の人間がかけるとただの地味なおっさんになるだけだと気がついた。

少し悲しくなったので、それよりは派手な赤いフレームのやつも一本買った。目指せヤング。


………。
# by isohaetori | 2014-07-25 19:06 | 昆虫採集・観察(海)

蟻の巣のコカブト

ちょっと前に入手したコカブトの仲間。Cryptodus属の一種だと思う。体長18ミリメートル。

Cryptodus sp

当初はこの虫について何も知らなかったのだが、とある標本商でひと目見て、なんて怪しい虫だろうという印象を抱いた。いかにもアリかシロアリの巣から出てきましたという雰囲気だったからである。なんだか分からないけれど、この珍品っぽさがどうにも気になる。こういう変な虫は迷わず買え、という虫屋の勘に従って購入した。

後で調べてみたところ、アリノスコカブトというそのまんまの和名まであるグループであることを知った。これが実際にどの程度珍しいのかは知らない。しかし山ほど採れるようなものとはとても思えないし、何よりカッコいいので、私の標本箱のなかでは大事にされている。
# by isohaetori | 2014-07-19 18:13 | 標本

江ノ島のエノシマエンシス健在 (コイソカニムシ)

先日江ノ島を歩いたとき、ちょっと気にして探していた生き物がコイソカニムシNipponogarypus enoshimaensisである。本種は江ノ島を基産地として、森川(1955)により新属新種として記載された。これは原記載の図。
江ノ島のエノシマエンシス健在 (コイソカニムシ)_f0205097_16494237.jpg


現物はこんな虫である。驚かすとピコピコと後ずさるような動きをみせる。体長は2ミリメートルほど。

koiso

江ノ島といえばこの虫…というイメージがあったので、安否を確認するつもりで探してみたのだった。結果、乾燥した岩場の隅で一頭確認(というか、一頭見つけたところで満足したので探索はやめてしまった)。コイソカニムシが好むのはこんな場所である。

R0018791

潮のかからない、かなり乾燥した岩場を好むようである。こんな環境で何を食っているのだろうと思うが、トビムシやダニなど、何がしかの餌は見つかるのだろう。地味極まりない虫ではあるが、江ノ島の名を背負うこの生き物が、いつまでも繁栄してくれれば良いと思う。



そういえば、三浦半島の調査の際にも本種に出会ったことがあった。参照→http://isohaetori.exblog.jp/18325007/
# by isohaetori | 2014-07-10 16:56 | クモ・多足類

江ノ島にてモース博士に思いを馳せる

 先日、江ノ島を歩く機会があった。これまで遠目に見ることはあっても、島の中にまで足を踏み入れたことはなかったので、色々と目新しく楽しい経験をした。

江ノ島にてモース博士に思いを馳せる_f0205097_23251214.jpg


 観光地としての知名度は言うまでもないが、江ノ島は生き物屋にとっても話題に事欠かない場所である。明治以降、日本における近代的な動物学が最初に盛り上がったのも、この地を中心とした相模湾周辺であった。いわゆるお雇い外国人が豊かな生物相に注目したからである。ヒルゲンドルフ博士が江ノ島の土産物屋でオキナエビスを「発見」した話は有名だし、このブログでも何度か言及したことのあるモース博士が、日本で最初の臨海実験所をつくったのも江ノ島だった。

 特にモース博士の当地に対する入れ込みようはかなりのもので、来日してからほどなく、博士はここで海岸に面した小屋を借り、ひと夏の間、そこを拠点として精力的に採集を行った。この小屋の手配にあたっては植物学者の谷田部良吉が便宜をはかった。モース博士が来日した目的は腕足類をはじめとした海洋生物の研究であったので、それらがたくさん採れる上に、当時から開けていて生活もしやすかった江ノ島は、まさに研究の拠点とするにふさわしい場所であったに違いない。博士の当時の日記をまとめた本、「日本その日その日」には、江ノ島での生活や調査の様子に多くのページを割いており、この日記の重要な読みどころのひとつとなっている。

 借りた小屋を実験所に改装するのは短期間で終わったが、当時そうしたものに縁のなかった日本人の職人たち(しかも常にのんびりしている)に一から説明して造らせるのは大変だったらしい。博士はまず、必要なテーブル、椅子、窓のつくりや位置、錠前の必要性などを根気よく説明しなければならなかった。また、研究に必要なアルコールやガラス瓶の確保も容易でなく、当時の日記には一刻も早く調査を始めたい博士の苛立ちが見てとれる。
 出来たら出来たで災難はやってくるもので、実験所が完成した翌日には台風に見舞われ、せっかく持ち込んだ物資を暴風雨のなか運び出す羽目にもなった。そんな苦労の末、念願の研究を開始した時の喜びはひとしおであったろう。博士の当時の日記には、以下のようなくだりがある。明治10年7月30日、江ノ島に移ってから初めてドレッジを行った時である。


 我等の入江に帰った時、私はそもそも私をして日本を訪問させた目的物、即ち腕足類を捕らえようという希望で一度曳網を入れて見た。私は引潮の時、この虫をさがしに、ここを掘じくりかえして見ようと思っていたのである。所が、第一回の網に小さなサミセンガイが三十も入っていたのだから、私の驚きと喜びは察して貰えるだろう。


 その後もシャミセンガイのみならず、助手を使いつつ、海岸で様々な生物を採集した。同年8月10日の日記。


 昨日我々は、干潮で露出した磯へ出かけた。(中略)収穫が非常に多く、また岩の裂け目に奥深くかくれた大きなイソガイ、生きてピンピンしている奇麗な小さいタカラガイ、数個のアシヤガイ(その貝殻は実に美しい)、沢山の鮑、軟かい肉を初めて見る、多くの「属」、及びこれ等すべての宝物以外に、変な蟹や、ヒトデや、海百合の類や、変った虫や、裸身の軟体動物や、大型のヒザラガイ、その他の「種」の動物を、何百となく発見する愉快さは、非常なものであった。


 学者というものは研究室にこもって黙々と作業をしているイメージが一般的かもしれないが、それは根っからの生物学者には当てはまらないことが多い。野外に出て好きな生き物に出会った時ほど、生物学者を喜ばせるものはない。何にでも興味をもって採集と記録に努めたモース博士の日記には、その楽しさがよく表れている。

 博士の江ノ島滞在は約1ヶ月と短かったが、明治初頭という時代にあって、臨海実験所の先駆けをつくったという点でも意義深いものがあった。その建物は、現在の江ノ島大橋を渡り切って左手へ少し行ったあたりに存在したようだ。その後の埋め立てで地形は変わってしまっているが、藤沢市の設置した記念プレートがあり、実験所のあったおおよその位置を知ることができる(もっとも、実際に実験所があった位置とは多少のずれがあるらしい)。

 モース博士が江ノ島で研究を行ってから100年以上の月日が流れたが、多くの参拝客や観光客で賑わう島の風景は変わらない。しかし海は変わった。博士が嬉々として採集したシャミセンガイはもういないし、当時はいくらでもいた多種多様な貝類も、かなりその数を減らしたことだろう。モース博士が今の湘南の海を見たら大いに嘆くことだろうが、博士に教えを受けた当時の日本人たちにより、我が国の動物学は急速に発展することになった。それまで本草学の域を出なかったものが、近代的な学問へと大きく変貌していったのである。その点については、草葉の陰の博士も嬉しく思っているのではないだろうか。

江ノ島にてモース博士に思いを馳せる_f0205097_23253113.jpg


 橋を渡ってすぐのところにある記念碑。すぐ横のプレートには、「エドワード・S・モース記念碑 日本近代動物学発祥の地」とある。調べ物をするモース博士と、日本の子供たちのレリーフである。
# by isohaetori | 2014-06-29 23:36 | 雑話